私は京都市会議員の平山たかおでございます。
「生まれ育った東山区から京都のために」を合言葉に皆さまのお声を京都市政へと届けるべく日々走り回っております。
その合言葉にあるように、私は京都市東山区に生まれ、京都市東山区に育ちました。
わが故郷、東山区は全国屈指で高齢化率が高い街でございます。私たち世代はいわゆるバブルを知らない世代、経済の右肩上がりの時代を知らない世代であると言われています。
ちょうど、自分自身もリーマンショック後に就職活動をしたので、今の日本の状況を肌で感じて育ったわけでございます。
現在は人口減少社会であり、ますます、将来に対する希望が少なくなってきた時代であると言われているからこそ、
未来は明るいのだということを、これからの京都を、いや日本を担う世代へと我々世代が示していかなくてはいけないと強く感じます。
私は大学生時代に前任の内海貴夫元京都市会議長の下で様々なことを学びました。
私は内海貴夫先生から、その時に
「平山君、夢を語り、その実現に向けて動くのが我々政治家の役目なんだよ。」
と教えて頂きました。
私は、先生の背中を見て学び、私は将来に対する希望を示すのが政治家の役割であると考えるようになりました。
もちろん、私は政治家一族でもなく、「まちの電器店」の息子、普通の一般家庭に育ったため、大学卒業後には就職をし、働いておりましたが、私のお師匠様であった内海貴夫先生がご引退なさるということで、地域に一番近い京都市会議員で、生まれ育ちが東山区の議員がいなくなると思うと、いてもたってもいられず、後継者を選ぶ公募に応募し、平成26年10月に後継者にとお選び頂きました。
そして、平成27年4月12日投開票の京都市会議員選挙において、4,401票もの、皆様からの暖かいご支援を賜り、初めて当選させて頂きました。
なぜ、この若さで政治家なのかとの理由は、先程述べたように、未来への希望を将来世代に示すのが我々の役目であると同時に、未来に対する責任も、私自身が持たなくてはならないと考えます。
私は「50年先の未来まで責任の持てる政治を!!」行い、若者と諸先輩の架け橋として働いていかなくてはならないと考えています。
内海貴夫先生の教えを胸に刻み、「生まれ育った東山区から京都のために」を合言葉に、わが京都の発展のために、誠心誠意働いて参りますので、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようにお願いを申し上げます。